それでも僕は映画を見る〜ヤマシンの映画ブログ〜

映画の感想を書くことを生き甲斐とした男のブログでございます。

『ディア・エヴァン・ハンセン』

公開日2021/11/26
鑑賞日2021/11/30

映画の感想を書くことを日課とし始めたが、これといって特に型は決めていない。
毎日書くことを優先に、書きたいことを書いているため、見苦しい文章が多いと思う。
今回も見苦しいはずだ。
映画の感想、というよりも、映画をお題にした自分日記といえる。
そのため、自分よがりの「誰が興味あんねん」的オナニー型文章となっていることが多い。
読んでもらえる方がいるとするなら、ありがたい限りではあるが、そのことを意識して書いていない。
プロの書き手は尊敬するが、なりたいとは思わない。
読ませるためのテクニックなんてものも、信じていない。
自分の感じたこと、思ったことを、大好きな映画と向き合いながら可能な限り言葉にする。
その作業が楽しいからする。
いつかどこかで伝わる人にだけ伝わっていればラッキーかな、とは思っている。

『ディア・エヴァン・ハンセン』は自分と向き合うための映画だった。
映画を見ながら、自分のことについて考えた。

なぜ映画の感想を書いているのかということについて、楽しいから、という理由をもう少し踏み込む。

僕に才能があるとしたら、人の顔色を伺うことである。
人の顔色を伺うのは、怒りに染まった空気が苦手だからだ。
誰かが怒っている、怒られている、ような空気が心底苦手だ。
原因を語るのは省くが、怒りに満ちた環境を避けて生きてきたし、おちゃらけるクセもそこからついた。
角ばっているものより、丸いものが好きで、男性より、女性が好きだ。
怒鳴り散らす人間を見ると殺意すら覚える。
32年生きていると、自分が怒らないといけない場面にも遭遇する。
そのときは怒るしかないが、怒り方の選択肢が少ないため、気持ちの悪い怒り方になる。

怒らない環境にするため、自分を殺すことが多々ある。
例えば、レストランで料理に髪の毛が入っていたとしても、何も言わない。
言って、店員さんが、他の店員さんを怒ったり、同席している誰かが、自分のために怒るかもしれない。
そんなことを考えると我慢する方がマシだと思ってしまう。
デートであれば、男らしさをみせるため、無理をしてでも「髪の毛入ってます。」と言うこともある。
しかし、無理をしてるので、結局そういう人間でないことがばれ「なんか違う」と思われて終わる。
とにかく、自分がガマンして、平和が訪れるのであれば、ガマンをしてきた。

それを続けていると、自分の意見が言えなくなる。
間違っていることでも、クセによって間違っていないと済ませてしまう。
本心と言動が一致しなくなっていく。
自分にウソをつくことがクセになってしまうのだ。

僕は長い間、自分にウソをつきながら生きてきたといえる。
そこから抜け出したいと思うようになったのはここ1年くらいの話だ。
理由を言葉にできる能力がない。
感覚だ。
怒りの空気を生み出す赤黒いオッサンになることだけは命を懸けて避けていくが、素直になりたい。
だからといって、漫画の主人公みたいに都合良く変わることは難しい。
当然のように、まだまだ現役で余分な愛想笑いをしている。

「映画の感想を文字にする」作業は、僕にとって正直な人間になるための修行である。
ネット上に書いたり、ノートに書いたりであれば、どんな感想を言葉にしようと、現実のやりとりと違って自由度は高い。
言葉が拙いため、自分の知らないところで誰かを傷つけていたり、誰かを怒らせていたりしている可能性はあるが。
現実の世界で物事をハッキリ言うことはハードルがあまりにも高すぎる。
僕はネット上やノートに映画の感想を正直に書くことで、少しずつ、自分にウソをついてきた自分を洗い流そうとしている。

映画の感想の中では、誰かの顔色を伺わず、自分の本心であることは、汚いとされることでも言葉にする。
生活基盤が揺らぐようなことや、モラルに反することは範囲外だが、人目や、しょうもないプライドだけが原因で言えないようなことは言葉にする。
自分の本心にできる限り近いものを言葉で表現して、それで嫌われるのであれば仕方ない。
女優のおっぱいしか見ていない映画だってある。
だったら女優のおっぱいしか見ていなかったと白状する。
映画の感想上で自分を隠すことは、僕にとって意味がない。
映画の感想を文字にすることは、正直な人間になるための修行であり、錯覚でも結構、理想の自分に近づけている気がして、楽しいのだ。
だから映画の感想を書きたくなる。

映画を見ながら、コリーの妹のおっぱいが気になりながら、そのようなことを考えていた。

『ディア・エヴァン・ハンセン』は、それぞれが自分と向き合う映画だ。
誰かの感想をあてにする意味はない。
映画館という暗闇の中で見る装置は向き合う上で非常に重要で、サブスクで後から見て得られるものが少ないことは間違いない。
終盤は、没入し過ぎて記憶がほとんどない。
暗闇の中で、気づいたら結末を見逃していた。

このような映画体験ができることは、経験上滅多にない。
少なくとも、僕1人の心を掴んで動かした映画であることだけは真実だといえる。

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