それでも僕は映画を見る〜ヤマシンの映画ブログ〜

映画の感想を書くことを生き甲斐とした男のブログでございます。

『ヴェノム レット・ゼア・ビー・カーネイジ』

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公開日2021/12/3
鑑賞日2021/12/8

⚠︎今作が好きな人、まだ見てない人は読まないことをオススメします。

「ヴェノム」の続編、大敵カーネイジとの戦いを描いたアクション映画。
6文字で言うなら、うんこちゃんだ。

とても楽しみに劇場へ出向いた。
お客さんもそれほどおらずラッキーだった。
前作が好きであったため、気持ちとしては遠距離恋愛で久しぶりに彼女と会うことになったときのような気分だった。
見終わってみると、遠距離恋愛で久しぶりに彼女に会うため待ち合わせ場所へ向かったら男が同行していて「この人、新しい彼氏なの、もう連絡してこないで」と言われた気分である。クソだ。うんこちゃんだ。暴れてやろうか。

子供向け劇場版ヒーローアニメと変わらない見応えだ。
まずグロシーンはほとんど省略されている。
人間の頭を食べることが特徴であるヴェノムが、人間の頭を食べるシーンを見せないというのは王貞治のホームランシーンを映さないのと一緒である。
頭を食べるシーンどころか流血シーンもことごとく排除され、残虐性が売りのダークヒーローと猟奇殺人を繰り返すヴィランの戦いが日曜朝8時に放映可能な少し豪華な戦隊モノのようであった。

前作ではヴェノムの持つ特有の能力を活かしたバイクアクションに心を奪われた。
夜、黒いバイク、黒い道路を、黒い車に追われながらモンスターと同化したトム・ハーディ演じるエディが、『マッドマックス怒りのデスロード』のチェイスシーンで流れるようなハイビートの曲とともにド派手に爆走するシーンに我を忘れて興奮した。
今作では真っ昼間、赤いバイクで坂をちょこっとジャンプする。曲に関しては忘れた。クソだ。夜走るシーンもあったが別にクソだった。

前作でトム・ハーディはなくてはならない存在だった。
キャリアを失いゴミを漁り希望を失った自暴自棄クズ男の体現、ヴェノムと同化完了するまでの困惑と葛藤を演じてみせた彼の技量に加え、着ているパーカーからさえも想像を誘ったキャラクターデザインや美術の的確さも彼の魅力を引き立たせ、彼の存在が完全に映画『ヴェノム』という作品をマーベルシリーズ内のダークホース的ポジションにのし上げる一因となっていた。

今作でトム・ハーディがいなければならない理由は見当たらない。
前作しかり『ブロンソン』『ウォーリアー』『ダークナイト ライジング』のベイン役で世に知らしめたストリート色の強い沸々とした暴力性&わずかに垣間見えるセンチメンタルな哀愁どころか、『マリー・アントワネット』でチラ見せした似合わない高貴さのような失敗すら映し出されず、誰でも代わりが効くような平凡なただのヴェノム男がいた。

カーネイジを演じたウディ・ハレルソンには気味悪さを顔面に感じたが、見せ方次第でまだまだスケールアップできるはずの、猟奇殺人者としての大きな余白に勿体なさを感じる。
そして彼のパートナーとして現れるナオミ・ハリス演じる女子は必要だったのだろうか。
20分に1回くらいのペースで大声で叫ぶのだが、そのたびにこちらもFUCKと叫び返しそうになる。

ミシェル・ウィリアムズ演じるアンも例外ではない。
前作で少しは描かれていた2人の男の間で揺れ動いて恋愛に悩まされるむず痒い乙女心が、スイッチを押したら気持ちが変わる機械のように変貌を遂げていた。
「彼女のために戦う」というエディの動機に結びつくことはない。

アハ体験をもたらすバトルシーンは見当たらず、難題に立ち向かっていく緊張感は欠片も存在しない。
トム・ハーディを大画面で拝めること、今やそこそこどこでもみれるようなCGを一応見れること、家族でもギリ見れるかもしれないこと、くらいがほめポイントだろうか。

映画的エッセンスを保ちながら新シリーズを作り上げた『アイアンマン』シリーズとは反対に、子供を始めとした大衆にウケるため映画的エッセンスをドブへ捨て、ただマーベルの世界観に滑り込ませるためのあってもなくてもどっちでもいいつなぎのような無感情の業務用映画になっていた。

オレのこれ見てくれよと言わんばかりの並々ならぬ熱い気持ちを、轟々と映像で語ってほしい。
そんな映画を僕は見たい。

まとめてうんこちゃんだ。