それでも僕は映画を見る〜ヤマシンの映画ブログ〜

映画の感想を書くことを生き甲斐とした男のブログでございます。

『バリー』(2016)

f:id:movieyamashin:20211211114430p:image

鑑賞日:2021/12/10
天気:晴れ
時間帯:夜
場所:家
見た映画:『バリー』(2016)/アメリカ/監督ビクラム・ガンディ
見た理由:新作の予習

1980年代のニューヨークを舞台に、黒人であることに悩む1人の青年バリーを中心に描いたドラマ。
バラク・オバマ元大統領の大学生時代を基に作られた映画だそうだ。

人種のコンプレックスは思っている以上に辛いという訴えが続くので、やや陰鬱な気分になってしまったなぁ。
「やや」というのはポイントで、テーマに見合う重みはなく、サラッと見れてしまう特番ドラマみたいな作風だったのだ。

バリーはとにかく下を向いて悩み塞ぎ込み続けるのだが、事情を深くわからない人間としては「かっこいいし、バスケうまいし、可愛い彼女もいるんだから、そんなうつむかんと前向きなさいや」と思ったし、可愛い彼女であるシャーロットも「気にしすぎよ、堂々としなさいや」と言い続けていたから、客観的に見たらやはり多数決的にもそんな悩まんでもと思ってしまうくらいの状況として、この映画では見えてしまう。
一方、そのような言葉掛けは本人にとったら「わかってるよ怒」と思えてしまうことも、僕は少しわかる。

周囲からの手助けにより救われることがある一方で、結局自分にしか変えられないこともある。
今作でのバリーは後者だと気づいているのだが、どうすればいいかわからない自分に腹が立っている、そのジレンマが際立って描かれていたように思えたなぁ。

自分への苛立ちによって起こしたアクションが思いの外周囲に気遣いをさせてしまうのだけれど、それに気付けていない青々しさも映し出されていた。
ついつい学生時代のイタイ行動なんかを思い出してしまって体をかきむしりたくなった。

バリーの彼女シャーロットは大学生という時分においては理想的な女性だ。
顔立ちは言わずもがな「あなたの中身が好きなのよ」と何度も言ってくれる超アゲマンだ。
クラブで踊る情動を見せたかと思いきや、突然抜け出して2人のムードを大切にする思いやりの心に童貞魂も震える。
リアと非リアの境界線を縦横無尽に行き来できるフットワーク、いきなりかけっこを求めてくるような無邪気さ、怪我をすれば消毒液をつけた布でぺんぺんしてくれる母性、愛しさと切なさと心強さ全て兼ね備えた女性。
それはそれは良かったなぁ。
演じたのはアニャ・テイラー=ジョイだ。
『ウィッチ』で見せたグラつき女子が、バリーとの関係を通して今作でも少し垣間見えたなぁ。

彼女の献身があってなお拭えない人種へのトラウマはいかなるものだろうか、今作で深く描かれることはなかったが、ドラマを辿ることで表面的ではあるけれど、少しは汲み取れた気がした。