それでも僕は映画を見る〜ヤマシンの映画ブログ〜

映画の感想を書くことを生き甲斐とした男のブログでございます。

『マトリックス』(1999)

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鑑賞日:2021/12/16
天候:晴れ
時間帯:昼
場所:家
見た映画:『マトリックス』(1999)/アメリカ/SFアクション/監督リリー・ウォシャウスキー、ラナ・ウォシャウスキー

仮想現実空間を舞台に人類とコンピュータの戦いを描いたSFアクション。

北海道生乳100%という表記を見て、どう信じればいいのかわからない。
製造者の口から聞いても信じないと思う。
利益のために言葉で誤魔化すことをなんとも思っていない大人は存在する。
実際に工場での製造工程を見れば信じることができるかもしれない。
同じように『マトリックス』が「驚異の映像革命」と言われても、自分の目で見るまで信じない。
たくさん映画のキャッチコピーに泣かされてきた経験が、北海道生乳100%を信じさせなくなったのだろうか。
映画のおかげでひねくれてしまったのだろうか。

この状態を改善するためには、キャッチコピーに打ち勝つ映画にたくさん出会う必要があるかもしれない。
だとしたら、今日僕は一歩前進できたことになる。

「驚異の映像革命」という言葉は正直なところ、70%くらい賛成である。
というのも、お察しの通り、1999年時に革命であったわけで、今は2021年である。
モーニング娘。の登場は驚異のアイドル革命であったが、大人数の女子が踊って歌うことは今や保守的である。
映像革命と言われたのは、映像においてその当時斬新であったからだろうが、タイムスリップして当時の映像群を見直さない限りわからないことで、だから30%くらい自信がない。

しかし映像の密度には驚異を感じずにはいられなかった。

ここで言う僕の密度とは具体的に言うと、考え抜かれたシナリオ、画面全域にわたって不自然な余白や作り手の妥協を感じさせない美術と衣装たち、SFの世界を見る手の脳に浸透させる数々の小さい演出、模倣から作り上げられた独創的なアクション、近未来とグラサン黒装束にハマったキャスティングとポーズ、などであり、一言で言うと「手間」のようなものかもしれない。

手間は人の心を動かす。
職人が時間をかけて作ったコップに魅力を感じる。
コンビニの肉じゃがの方が便利でも、やっぱり手作りの肉じゃががいいなと言っている。
ストーリーをコンテンツにしたら売れる、と戦略家は饒舌に語る。
楽をしている人と、努力をしている人では、同じ結果だったとしても、努力をしている人が指示を得やすい。
なんとなく、新庄よりイチローを選んでしまう。(どちらも確実に血の滲む努力をされているはずだが見え方的に)
同じように、ササッと作られているように見える映画より、膨大な手間をかけて作られているように見える映画に夢中になる。
もちろん、マトリックスが果たして膨大な手間をかけて作られたのかどうかは、わからない。
その判断は、自分がこれまで見てきた作品と比べただけである。
しかし、その自分を信じるとするならば、手間がめちゃくちゃかかっている、こだわり抜かれている、見どころばかりである、つまり驚異の密度をもった映画だという。
マトリックスの制作現場を見なくたってこれは相当な映画なのである。

何も僕は密度計測員だったわけではない。
それ以前に、キアヌ・リーヴス演じる主人公ネオに夢中であった。
運命を自ら切り開いていくことをモーフィアスに教わり、過酷な状況下で己の道を作り出し、進んでいく。
それは人生であり、『バックマン家の人々』のおばあちゃんが言う「人生はローラーコースター」まさにそのものなのである。
人類存亡を内包した未来の誰かのため、身近な仲間のため、自分を奮い立たせることの重要性を説く。
自分のために自分を奮い立たせること、誰かのために自分を奮い立たせること、それらが可能になってできることの大きさを、僕はのめり込んだSF世界で知ることになった。

ある意味また、キャッチコピーに裏切られ、泣かされたのかもしれない。
でもこのような期待をいい方向に裏切られる泣かされ方であれば毎日泣かされたい。
このような映画に出会い続けることができたら、
北海道生乳100%のヨーグルトを無心で買える日が来るかもしれないなぁ。