それでも僕は映画を見る〜ヤマシンの映画ブログ〜

映画の感想を書くことを生き甲斐とした男のブログでございます。

『ルーム』(2016)

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鑑賞日:2021/12/17
天候:晴れ
時間帯:雨
場所:家
見た映画:『ルーム』(2016)/アイルランド・カナダ/ドラマ/監督レニー・アブラハムソン

⚠︎予備知識一切なしで見た方が楽しめる映画だと思いますので、興味がある方はぜひ、先に映画をご覧いただくことをお勧めします。

アイルランド出身の作家エマ・ドナヒューのベストセラー小説「部屋」を映画化した作品。
ある男によって監禁された女性と、その間に生まれた息子が外の世界へ脱出し、社会へ適応していく様子を描いたドラマ。

今作が秀逸であるのはとくに「大人の女性と、子供の息子」「監禁部屋が生活の拠点になってしまった人間と、それ以外の人間」の視点を、たった2時間弱で描いてしまったことだと思えた。
つまりは、年齢によって、性別によって、立場によって、環境によって、人の容姿や考え方は無意識にいかようにも変化するのであり、その力の強さと、恐ろしさと、人間の脆さを体感する映画だった。

ブリー・ブラーソン演じる主人公の女性ジョイは、17歳という若さで、監禁される。
肉体的にも精神的にも実る、人生において最も重要ともいえるこの期間を、好きでもないただの通行人の男に奪われる。
まずは恐怖が先行しただろうが、その後果てしない絶望と怒りを感じたとしても、生き延びるためにそれらの感情を押し殺す他ない。
好きでもない男との間にできた子供は、純粋に愛したくても愛せない、余分な感情を付け加えなければならない。
彼女が監禁されてから外へ脱出し、適応していくまでの、人生で考えるとまだ挽回できるともいえる長くも短い期間に芽生えた感情の数は測り切れない。
想像することさえ僕にとっては拷問だった。
彼女から生まれたジャックは、彼女と比べるとそこまで複雑な感情は芽生えていないように見える。
生まれてからずっと監禁部屋にいるため、監禁される瞬間に抱く恐怖のような感情は一切ない。
しかし、不運なことに、外へ脱出する瞬間、その環境の変化に、自分の知らないものしか存在しない巨大な部屋の外という世界に、爆発するかのごとく感情が激しく揺れ動く。
彼にとって、監禁部屋の存在を否定することは、自分自身を否定することのようである。
僕らが故郷に温もりを感じるように、彼は監禁部屋に温もりを感じている。
「外の世界の方が広くて、好きなものが手に入って、何より安全だよ」という、ごく普通の大人たちが必死に考え出す言葉も、彼にとって意味はない。

これらは一部で、この映画では、並の生活では想像することすらないであろう視点を持った映像が、目まぐるしく交錯しながら流れていく。

子供に見えている世界が、子供が使う言葉で語られていく。
まさに大人になってから考えもしない考え方がそこにあった。
映画の中には脚本だけではわかりえないものも数多く存在し、想像を助長した。
カメラは、身長差を利用して、大人と子供の視点を区別する。
大人と子供の視点の違いを一挙に描いてみせるシーンもある。
どれくらい監禁されているのか、どれくらい理不尽な生活を強いられていたのかは、彼らの使用する生活用具や、食事の取り方を一目見れば理解できる。
彼らが脱出する瞬間と、外の世界に触れ合っていく道のりで生まれる感情を汲み取ることは、もはや映像に頼るまでもなかった。
映像を見ていることを忘れさせる力があるようにも思った。

この映画で、もし犯人である男の視点が組み込まれていたら、僕は完全にパンクしていただろう。
たぶん、この尺でこれ以上の視点を詰め込めないだろうし、作者の意図的にも、そんなことはしないだろうが、もし、それをしていたとしたら、あまりの底の深さに溺れていたと思う。
この映画は実話に基づいている。
実際に、そのような男は存在しており、ルールから逸脱し、自分の欲だけを優先した人間を救う気は一ミリもないが、今作で学んだことを応用すると、この男にすら彼なりの視点があるのだ。
彼の視点がもし描かれていたらと考えると恐ろしい限りである。
僕は思っている以上に恐ろしいものに囲まれながら生活しているのかもしれない。

僕らの生活には、無数の視点が存在しているようだ。
ジョイやジャックのようなもの、反対に、ただ幸せにみちたものもたくさん存在しているだろう。
そう考えると、自分という何十億分の一の視点で物事を判断することが、とんでもなくおかしなことのようにも思える。
他人の視点も何十億分の一なのだと思えば案外どうでもいいことなのかもしれない。

良いのか悪いのかわからないけど、映画を見た後、少し異なって全てが見えてくるのだ。

映画に出てくる人物の人生を追体験してしまったことと、追体験したことで得たものを考えると、僕はこれぞ映画だと言いたくなるのです。